沖島勲が語る/沖島勲を語る(2007年9月3日)

『沖島勳は悪夢しか見せてはくれない。』堀禎一(映画監督)

『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ モダン夫婦生活讀本』真魚八重子(映画ライター)

『出張』CHIN-GO!(映写技師)

『したくて、したくて、たまらない、女。』モルモット吉田(映画評ブロガー)

『YYK論争 “永遠の誤解”』絓秀実(文芸批評家)

『一万年、後….。』“私たちは卑しい人間なのだ!” 足立正生(映画監督)

はじめに

 『一万年、後….。』公開に際して、私たちは公式パンフレットという代物を作らなかった。それはこういうことだ。理念のうえでは、ホームページを誰もが自由にアクセスできる無料のパンフレットと捉え、それに値いする内容とする。お金を払って映画館にいらっしゃるお客さんから更にお金を踏んだくって、ますます限られた人達だけが読む、そんなものツマランじゃないか、と・・・まぁ、そんな態度である。物理的な側面でいえば、金がない、これに尽きる。

 物理的な側面は理念のオブラートに包み隠して、黙って私たちが飲み込んでしまえば綺麗な理念だけが残る。だが、その理念にも致命的な瑕があった・・・というのも、当の沖島監督がパソコンを持っていなかった、からである。各執筆者のテキストが入稿され、着々と『一万年、後….。』のサイトの内容が充実していくなか、沖島は何も知らず日々平穏に過ごしていた。あぁ、いくらオープンだ、フリーだと言っても、サイトを見ることのできない人間はごまんと居る、これが現実なのだ。

 私はプリントアウトした原稿を抱え、監督宅へ急いだ。しかし、急いだといってはみたが、ときは2007年9月3日。公開まで既に一週間を切っていた。(Y)

■Yが監督宅にやってくる。卓袱台を囲んで世間話。Yがプリントアウトした原稿を手渡すとホームページについて話題は移る。

沖島:あのパソコンのディスプレイの画面で字を読むっていうのが、そもそも生理的に合わないというか・・・みんな、そんなことはないのかしら。それからね、あれはやりだすと癖にもなって・・・そういう大学の同僚の先生が二人いたんだけど、一人はもう電源をつけっぱなしだもんね。それに何もかもパソコンに取り込まないと気が落ち着かないっていうような感じでね。生徒のレポートの提出状況から何から何でも表グラフになっていたりして(笑)・・・便利な面もあるけど、あれだね・・・僕は苦手だね。

■沖島監督、原稿を読む。(時間経過)

沖島:今から思うと『ニュー・ジャック&ヴェティ』はね、僕の数少ない作品のなかで一番批評とか新聞記事に取り上げられた作品だと思います。

時代が時代でしょ? 若松さんのプロダクションで作って、公開は蠍座(映画館)だし。とにかくあの頃の新宿は若者だけじゃなくて、中年のおじさんまでウロウロと街を徘徊していて、今じゃちょっと想像できない様子だったんだよ。ぶらっと映画館に入ってくるおじさんが結構いたり・・・それから、アンダーグラウンドの芝居があの頃から始まってきて、凄い勢いになっていくわけでしょ。そういった時代的な“ノリ”があったんだと思うんだけど、『映画芸術』や『映画評論』といった映画雑誌が取り上げてくれただけじゃなくて、映画と関係ない雑誌からも原稿書いてくれって依頼がきたりさ・・・たまたま久我山の喫茶店に入ったら、ラジオから急に『ニュー・ジャック&ヴェティ』という映画が面白いって言うディスク・ジョッキーの声が聞こえてきて、自分が一番びっくりしちゃって(笑)。そういう意味では一番賑やかだった。

 ただ、そこそこに反響は大きかったのだけれど、論じられ方ということに関して、僕が満足したことはなかったんですよ。「若松プロの第三の新人」とか足立くんと学生時代から一緒にやってきたという「出自」だよな(笑)・・・そういったジャーナリスティックに取り上げざるえないことの仕方のなさというのも分かっているつもりだし、そのことを嫌がるってことは一つもないんだけど、「出自」で語ってしまうとその後の行き方というのが割合決まってきてさ。当時の1969年とか70年っていうのは反体制運動のようなものが盛り上がっていた政治的な時代でしょ。その文脈のなかだけで語られてしまうと、オレが感じてるオレの面白さというのが一つも語られないというさ・・・まぁ、最初の作品一本だけでそこまで読み取れ、というのは無理かもしれないけどさ(笑)。『ニュー・ジャック&ヴェティ』は公開以降も大学の学園祭で上映されたりしたんだけど、やっぱり論じられ方ということに関しては常に同じことしか言われていないな、という不満足感はあったよね。(真魚さんみたいな若い人の文章を読むと)「出自」ではなく「作品」そのものを楽しんで書いてもらっているというのが、嬉しいというか・・・ようやくホッとするというかね・・・。やっと別の視点から語られるということが起っているような気がしています。

―ー時代から距離をとって作っていた?

沖島:はっきり意識して時代から離れて作りました。当時の若松プロはゲバラの写真が大きく貼ってあるというさ、そんな雰囲気でしたよ。僕の「政治」の考えを語ると長くなるから今日はやめておくけど、日大という右翼大学で『鎖陰』という映画を一本作りきるっていうのは、本当に学生運動そのものでした。『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』に書いた文章ではその辺りについてはほとんど触れていないけど、そりゃ常に何かことあれば応援団から身の危険を感じる攻撃受けたり・・・やっぱり、映画を作るというのはひとつの運動だったの、学生の中では。しかも最も過激な部分だったわけ。例えば、当時の社研のように世の中を唯物史観で理論的に捉えていくということは、僕も、中学時代の担任が共産党だったからね、サークルで理論的なことはみっちり勉強していたんです。その中学には共産党員の先生が10人くらいいて細胞会議をあちこち場所を変えながらやるわけ。で、父親が電気工事の小さい会社をやっていたこともあって「沖島のところの事務所を会議に使わせてくれないか」なんて担任の教師に頼まれてさ・・・親父は大の共産党嫌いだったのだけれども、先生の頼みなら・・・ということで先生たちは夜中に何回か家で会議をやっていたんだよ。それによって洗脳されるということはなかったけどさ・・・やっぱり(中学生という)年齢的にも不公平な世の中に対して正義感というのは持つわけじゃない?そういった少年らしい正義感というのが、そういう左翼の理論と合うんだよね(笑)。ある意味では短期間だけど、とても影響は受けました。ただ高校生になると世の中を公式的な見方だけで捉えていくのが面白くないというか無味乾燥というか、何か足りないところがあるように感じ始めて・・・その担任教師とは中学卒業後もある程度つきあっていくけれど、反発していく時期もありましたね。ましてや大学に入ってさ、初めてマルクスの名前を知って目覚めていっちゃうような人達が学生運動では主流じゃない?(笑)もうばかばかしくってさ・・・。しかもそういう人たちは大学卒業したら「お前どうしちゃったの?」みたいにキレイさっぱりそういったことを忘れて何も残ってないわけでしょ?(笑)どの世代にもそういう人っていうのはいっぱいいるんだろうけど・・・。

 それから日大のなかで『鎖陰』を作ったときは、最後までスタッフとして誰もついてこないのよ。映画を一緒に作り始めても最後までやりきる人間なんてほとんどいないんだよね。途中でやめたら映画なんてゴミだからさ、作り上げてしまわないとゼロだからね。本当に最後は意地だけ。つらいことしかなかった。そんなとき、周りの学生諸君は誰もあてにならない人たちだった。もちろん彼らだってそこまで付き合う義理もないわけで、なんだお前ら!とはならないよ(笑)。ただ、それから何年か経ってさ、日大全共闘があると、人が変わったような学生さんに全員がなっているわけだ(笑)。これもまた一つの体制なんだな、と思いました。あるときになると誰もいなくなって、潮が引くように何もなくなるだろうと。そういう意味では・・・学生同士が共通の志をもってどうこうしていくというのを、僕ははっきり言って信用していない。必ず裏切りはするし、それは必然で当たり前ですよ。5〜6年もすれば奥さんもらって、それぞれに子供ができて・・・みたいなことをみんなやってきた訳じゃない。学生時代という特殊な時間だからああいうことができるだけのことでさ、理念的なことを全員に強制するのは無理な話ですよ。僕はわりと早い時期に左翼的な思想に触れて、そのうち公式的な理念だけで世界を見ることに疑いをもってきていたから・・・大学に入って初めて思想、運動にかぶれていく人たちに関して醒めてしまったことと、人間がともに何かをするという難しさや不信感をもってあの時代を見ていました。僕が体制的であることは全然ないですし、正義がまったく欠如した人間ではないけど(笑)、時代の熱狂や盛り上がり方というものに対しては非常に醒めていました。

 『ニュー・ジャック&ヴェティ』をその文脈に沿って作るとありきたりの反権力であり、暴力か性かということにしかならないわけじゃん。でも、この作品には明らかに暴力もないし、そういったものとは一味違うんじゃないですか。あるいは若松プロというような創造集団も僕の助監督時代の陽気で気ままに何でもやれていたときから数年後とはいえ、すっかり雰囲気が変わってしまいました。俺は別のところにいるな、という孤立感はすごかったですよ。そんななかでこの『ニュー・ジャック&ヴェティ』は撮ったつもり。強烈にそれはありました。

 とにかく「I am Jack.」なんて鼻たらしながら読んでいた時代を忘れたみたいな顔して、今でこそ立派な別人間のような顔ぶりをしているけどさ、最初に自分を培った時代に一回戻ってみろよ、というメッセージだよね。そりゃ澁澤龍彦だとか、埴谷雄高とか、吉本隆明とか当然僕も読んだりして、ある程度影響を受けたりもするけど、自分が受けた影響ということで言えば、東京の文化的洗練みたいなものは大したことはないな、と。俺はやっぱりここからだよ、ということです。

 始めからこのタイトルが思い浮かんでいた訳ではないんです。全く何も決まっていないところから何をやるかって考えるときに、形式とか場所というのが大事ですね。今回の『一万年、後….。』でもね、最初にああいう場所で物語を展開する、というのがパッと頭に浮かぶとかね。『ニュー・ジャック&ヴェティ』のときは最初なんだったかなと考えるとね・・・場所ではなくてドラマツルギーのようなものだったね。つまり、何かひとつ始まったら、ガタガタガタと進んでいって行き着くところまで止めようもないというドラマのエネルギーみたいなものが端緒にありました。どういう映画にするかというのを役者から考える人もいれば、原作から考える人もいるのかもしれないけど、核になるドラマのエネルギーや動き=モーブメントだよね。そんなことしか頭になかったのよ。家族が集まって、見合いがどうのこうのとか企画当初は頭に浮かんでないわけ。何かとんでもないことが始まったら止めようのないものを一時間のなかでやっちゃいたいな、と。

 歌の問題でいうと軍歌もかなり使っているんだよね。当時はフォークソングが全盛で軍歌なんてとんでもないって雰囲気なんだけど、僕はフォークソングは好きじゃないし、歌ったこともない。軍歌も好きじゃないけど、それでも日本はついこないだまで戦争していたわけじゃない? 1945年で戦争が終わってたかだかさ、1960年といえばやっと15年目でしょ?もうそんなことなんて見たことも聞いたこともないって顔してさ、日本人が過ごしているっていうのは不思議なものでねぇ。僕はそんな気持ちもあり、あの映画では軍歌を何曲か使っています。あの頃、新宿の飲み屋で客が流しにリクエストするのが「麦と兵隊」だったり、まだそんな時代であったわけじゃない?そういうものを全く知らん顔してさ、どっかの思想か観念をもってきて語るような時代風潮に対しても納得いかないという気持ちもあったんだよね。

 一つ言っておくと、スガさんの文章でのなかで、何故、Bettyが「ヴェティ」となっているかというところ。これは当時から何回も言われたことなんだよね(笑)。ジャズ評論家の相倉久人さんからも「なんでこんなことしちゃったの? Bettyは『ベティ』でしょうが」と言われたの。ただ、僕は(少年時代の)岡山の田舎で「Jack & Betty」という英語の教科書を使っていたんだけど、当時、明らかに「ヴェティ」って書かされていたのよ。先生自身もそう書いていたんだよ。確かに間違っているんだけど、実際にそうしていたっていうのが体験として強烈にあって、「ヴェティ」表記でいきたいというのがあったわけ。だからこれからも「ヴェティ」でいきます(笑)。

 この人(真魚さん)が書いている青年の唐突な行動という部分は、本当に細かい芝居やカットをよくみてるよねぇ。例えば、『出張』の石橋蓮司の最初の台詞で「いったいどうなっているんだ?」みたいなことを駅員にたいして言うよね。第一声っていうのは大事なんですよ。お客さんにこの男が何を言おうとしているのかを分かりやすく説明しようとするのが普通なんだろうけど・・・最初に説明的な台詞ではなくて、まず「どうなっているんだ?」という一言から出ていきたいんですね。一本の映画を通してこの男の正体を暴いていく、というような描き方です。『ニュー・ジャック&ヴェティ』に戻ると観ている人にしたら非常に怪訝な思いをしてしまうようなこの青年の描き方ですよね。この青年が何を言いたかったのか、というのを説明的な表情で演出すると身もふたもなくて、逆にそこで映画がプツンと断ち切れて持続しないんだよね。まったく不可解でも最後の最後でこの青年がもっていた気分とかが、パワーをもって一本の映画のなかで続いていかないと困る。だから、その瞬間において観る人からすれば「えぇ、何なのこれ?」って不可解な印象を与えたまま先に進んでいくことは、僕にとっては結構なこと。

 人物の描き方だけではなくて、ドラマの進め方のなかでもそういうことが言えるんですよ。『出張』でも最初駅のホームで派手な女が登場しますよね。あれって皆あとで絶対登場すると思うらしいんですよ。普通の映画の文法でいうとあれで二度と出てこない(笑)というのはおかしい。因果関係で作っていくのが近代劇の作法だから、あの女がゲリラたちと裏で関係していて、身代金のやりとりのシーンあたりでまた出てくるんじゃないかって思っていた奴がいたっていうことも聞いたけど、しかし、それは面白くないと思うんだよね。あの瞬間に石橋蓮司の50歳という年齢に近い男の鬱積した意識のなかにポッと「女」という存在が点灯しちゃう、それだけでいい役回りなのね。ストーリー的にどうよりも、それが狙いなわけ。別れ際に女が公衆電話で「あら、あなたぁ」なんて別の男に電話をしている姿を石橋蓮司がちらっとみて駅を出ていくよね。それだけでいいわけ。そこで、なにかもっともらしい役柄の説明をその後やっていくとボロボロの痩せた映画にしかならない、と僕は思う。

ーーあの女性は石橋蓮司の意識のなかに存在を点灯させて、そのまま映画からは退場してしまうわけですが、映画の物語と平行するように映画の外部であの女性の人生が続いている、そんな感じがします。それに関連していうとスガさんの文章には沖島作品には「作者」=「前衛」が外部に存在する『メタ言語』は想定できないといったようなことを書かれていますが、作者である沖島監督が登場人物をコントロールしていつでも外部から呼び戻せるようにはしていない、そんな印象です。

沖島:全部をコントロールしている映画というのが嫌いなんですよ。神のごとき作者のなかで全ての役回りが決められて、ドラマの因果関係のなかで役割が振り当てられる・・・それは本当につまらない。それが要するに近代の文学なり作劇なんだけど、それは病気みたいなものだと僕は思っている。生きているときにそんな風にならないじゃん。ガタガタっていうかブツ切りじゃない(笑)。その感じが抜けてしまったら、本当の生きてる感触というのがなくなりますよね。それは『ニュー・ジャック&ヴェティ』 で突然「私の欲望についての話はどういう風に結論が出たのでしょうか」というお母さんの問題ともつながるんじゃない?もちろん僕がお母さんのキャラクターを作っている訳なんだけれども、どこか僕じゃないものが呼びかけているような・・・そういう風になっていかないと映画って面白くないな、というのが頭にありますね。

ーー DVD-BOXのリーフレットで語られている「反文学的映画」を貫いてきたというのは?

沖島:映画は映画である、というのがまずあります。これはヌーヴェルヴァーグの一番の功績だと思います。映画はもともとリュミエール兄弟の映像から始まって、だんだんと演劇を取り入れたり、小説を映画にしたりし始めますよね。1950年代のある時期までのフランス映画なんて、そんなのばっかりだったの。それって本当に退屈で、今観たらとても観るに値いしないと思うよ。ヌーヴェルヴァーグが始まって、一時間とか一時間半くらいの時間のなかで映画独自の面白さをどうするか、ということをしきりに考えるようになったわけです。僕がリーフレットで言っていることは、「文学的」っていうのは子供が大人になっていくなかで身につけちゃう非常に良くないものなんじゃないか、ということですよね。例えば、岡本太郎は子供の絵を非常に評価して、子供の絵の展覧会を見にいったりした人だけど、だんだん大人の絵になっていくときにつまらなくなるのは他人の目を意識するからだ、と彼は言うんです。でも、そうじゃなくて、人間の脳の成長のなかでだんだんと大人として貧しくなっちゃう何かがあるんだろう、と僕は思うんだよね。成長と引き換えに貧しい大人になっていく世界観を文学的と呼んだわけ。映画でもそういう作家はいっぱいいるんじゃない?

ーーヌーヴェルヴァーグの作家たちの映画が出てきたとき、沖島さんは大学生だったと思いますが、やはり衝撃はあったんですか?

沖島:もう決定的だったと思いますよ。僕は1960年に『勝手にしやがれ』を観ているんだけど、10年は影響受けたと思うね。

ーーということは『ニュー・ジャック&ヴェティ』を作ったときも?

沖島:もう本当にそうですね。やっぱりあれがあるから、というのは絶えずあったね。もちろん映画がすばらしいからというのもあるし、あれがあるから下手なことはできないということもあった。

ーートリュフォーやリヴェット、シャブロルという人達もいましたが、やっぱりゴダール?

沖島:ゴダールでしたねぇ。

ーーヌーヴェルヴァーグ初期の作品群のイメージとして一般的に言われることで、軽量のキャメラをもって街頭に飛び出して撮られた躍動感のある映画というのがありますが、沖島さんの映画はワンシチュエーションの舞台が多く、印象は全く違いますよね。

沖島:僕はね、手法的な真似は嫌いなのよ。如何にもゴダールみたいな映画を撮った人がいっぱいいたじゃない?(笑)それは僕には恥ずかしくってできなかった。

ーー沖島さんの映画の形式からヌーヴェルヴァーグとの繋がりをみる人はほとんどいないと思いますが。

沖島:それはいないんじゃない(笑)。逆に僕の作品を観て古くさい奴やなぁ、って思うんじゃないか。ゴダールをそんなに信奉したというと、みんな「えぇっ」って・・・(笑)。トリュフォーが自動車泥棒についての三面記事に目をつけた企画をゴダールが撮ったというと、じゃあそのエピソードを一般化して、現実の事件をドキュメンタリー的に撮ればいいのか、というとそれも真似にしかならないじゃないですか。ひとりの作家の世界のなかで全てが起ってしまう、犯人が誰かを最初から知っていて、登場人物や観客を操っていくのが一種の文学性だと僕は思うんだけど、根本的にそれが駄目だ、というのをゴダールはあの作品でやっているわけじゃない?世界はそうじゃないんだ、世界というのは、何もかも分からない中で一人の若いチンピラにキャメラを向けてやっていくていうさ。その根本的なヌーヴェルヴァーグの思想みたいなものは引き継いだと思うけどね。

 自分の世界を作り込んでしまったら、映画を作る必要なんてないでしょう。毎回映画を作ることによって出会ったり、新しいものが開けたり、あるいは今まで分からなかったことが映画を作ることによって分かるとか・・・作者である自分をどこか外へ超えていく、というのが映画を作る面白さなんじゃないの。

ーー若干意味合いは違いますが、作り手ではなく観る側・上映する側の視点から映画を取り巻く出会いについてはCHIN-GO!さんの『出張』の文章で触れられています。

沖島:これは楽しい文章じゃない?僕もこういう自分の感じたことや身の回りの出来事と作品とを行ったり来たりしながら文章を書くんですけど、割合書き方が似ていますよね。

ーー大津幸四郎さんについて書かれている箇所については?

沖島:大津さんは簡単にいうと『出張』で三里塚的なものから脱皮できたの。それが楽しくてしょうがなかったの。三里塚というのがどんなものか知りませんがストイックな組織論とか、自分たちこそ近代に反抗している正当な主体だ、というものから『出張』にある一種のばかばかしさみたいなものを楽しむことで、脱皮した人だよね。それは彼がはっきりそう言っていた。どのシーンも撮影するのが楽しみだなぁ、って言っていた。

 この映画の母体になったのは城之内元晴さんが亡くなってから、旧日大映研のメンバーが「ユートピア研究会」(笑)という名前をつけた集まりをもって、シナリオを検討したりしていたんです。最初は先輩だし平野克巳さんが撮ればいいと思っていたんだけど、その話がなくなって、誰でもいいから持ち寄りのシナリオで面白いものをやろうじゃないか、ということで『出張』が選ばれて撮ることになったんです。

 『出張』の一種のバカバカしさに対してはメンバーの間でも抵抗があってね。抵抗する側は映研的な映画、如何にも観て難しいインテリめいたものである、という考えに凝り固まっているというかね。プロデューサーの神原寛さんも「こんな程度のものしかないのかよ」みたいなさ。『出張』のバカバカしさを説明するのは大変ですよ。ドラマ作りの面でも、身代金のやりとりは黒澤明の『天国と地獄』のようにもっと凝らないと駄目って言われるわけ(笑)。それをどう説得するか。この映画全部これは夢なんだよ、だからリアルな誘拐や身代金のやりとりで凝りに凝りまくって見せるという映画じゃないんだよ、と。この映画が公開されてからも、そういう抵抗勢力的な反応が多かったですね。「本当にくだらない映画だな」みたいな(笑)。もちろん、面白かったと言う人たちもいるんだけどね。

一一大津さんは非常に面白がってくれたんですね。

沖島:それはあの人の美点だね。彼はキャメラマンにはなったけど、演出部出身でいろいろな文学などの素養もあって、打てば響いたというか。彼が屈折した想いで三里塚を離れたという話は映画の撮影が終わってから聞きましたよ。そういう意味では彼もいいタイミングでこの作品と出会ったと思いますよ。それまで劇映画というと黒木和雄さんの作品くらいじゃない?この『出張』のバカバカしさとの出会いは彼にとっても千載一遇だったんじゃないか。

一一バカバカしさとか、唐突さという意味では『したくて、したくて、たまらない、女。』評を書いたモルモット吉田さんが指摘したところ一温泉のシーンで安 定したカットを積み重ねていたのに突然女の股間と男の破調なカットバックに変わる、という部分も気になりますが。

沖島:あれはね、あの作品のなかで僕好きじゃない場面なんだよ。漫画みたいに撮りたかったの。でも、漫画が漫画になりきらなかった気がして、この箇所は読むのが辛いね(笑)。室田日出夫さんが女と寝るときに突然大阪弁になるところは好きなの。喧嘩でもなんでも切羽詰まったときについ地元の方言が出るっていうね。

一一渡辺護さんがプロデューサーをやった経緯というのは?

沖島:渡辺さんというと『紅蓮華』をやったあとの出版記念かなにかのパーティで再び会ったんじゃなかったかな。そのときに渡辺さんから「沖島は今なにやっているんだ?」と聞かれて・・・「まんが日本昔ばなし」も終わったところで、あるところに企画を出していたんだけど待てど暮らせど返事はこないっていう時期だったんですよ。そのときに「俺もピンク映画を撮ろうかな」って僕が言ったのかな。そしたら「沖ちゃんが本当にピンク映画をやるの?」ってことで話が進んで、渡辺さんが顔の利く新東宝に紹介してくれたんです。三日で350万円の予算でしたけど、それだけではこの映画はできなかったんですよ。100万円は僕が出しました。僕の考えとしては、『出張』のビデオがすごく売れたこともあって、発売元の東映に話をもちこんで『したくて、したくて、たまらない、女。』もビデオ販売したいと思ったんですよ。東映は大手ですからピンク映画をビデオ販売することは通常ないんですけど、『出張』が売れたこともあって話を聞いてくれたんですよね。ただ僕も東映でずいぶん助監督をやっていましたから東映からビデオを出すときに求められる作品の質っていうのも分かるんです。最低でもある程度の完成度がないと、小汚いピンク映画として排除されてしまう。だから、そのクオリティを実現するためにはもう一つロケセットを探してくれ、とかそういう事情で100万から150万円は自分で出さないとできなかった。でもそのお陰である程度成功しましたね。このとき初めて映画を作るとき自分で金を出すということをしました。『出張』は自分でお金は出さなかったけど、いかに安く作るかということを散々していましたから、そこで製作的なことには目覚めていたのかな。

一一「交わることがないと思われる人々が、フトしたきっかけで同じ映画にクレジットが並んでしまう映画の魔力がここにある」というところは・・・

沖島:世間は狭いってことじゃないの(笑)。黒沢清さんはプロデューサーである生駒さんの紹介でお会いしました。黒沢さんは「素人ですから」って言っていたけどね。僕も、黒沢さんがプロの芝居ができるとは夢にも思っていなかったけど、雰囲気をみただけでいけるなって思いました。逆にあの役ってその辺りの劇団で演技を経験した人だったら誰でもできちゃうんですけど、それじゃつまらない。黒沢さんはあの役にぴったりでしたね

若松さんでも大島渚さんでも素人を使うテクニックってみんな持っているじゃないですか。僕は逆にプロの役者も素人みたいに使っちゃうんですよ。『一万年、後….。』に出演してくれた洞口依子さんの撮影が終わったあとに、西山洋市くんから「どうでした?」って聞かれたんだけど、そこで僕は何て答えたかというと「本当のプロの女優さんだよなぁ」って(笑)。本格的な女優さんで僕がびっくりしちゃったということがあって(笑)。西山くんも大笑いしていたけど。僕は素人とプロの役者にあまり差をつけて考えていないんですよ。役者の役者らしい演技ではなく、役者は素人ぽく、素人はなんとか形になるような演出をするということです。

 『したくて、したくて、たまらない、女。』に話を戻すと芦澤明子さんはピンク映画で助監督をしていた経験もあって撮影をお願いしました。芦澤さんも生駒さんの紹介です。3日で撮影しなければならないとなると、そういった過酷な条件の現場を知らないと話にならないですから。カット割りも事前に全部決めて撮影にのぞみました。ロケハンのときに芦澤さんは同行できずに後からやってきたんだけど、僕らがあの露天風呂に入って宴会をしていたら、水着を着て露天風呂の中まで入って来て「ここのカット割りはどうなりましたか?」って(笑)。他の人達が宴会しているなか、カット割りの打ち合わせを二人で岩場によじ上ってやったりしましたね(笑)。

 照明の牛場さんは芦澤さんの繋がりで参加してくれたのですが、彼は「まんが日本昔ばなし」の大ファンだったらしいのね。それで僕の名前を当然知っていて「昔ばなし」の沖島がアダルト映画をやるんだったらやってやろうじゃないか、と。あの人も親分肌だからね。実写の撮影に関しては丸っきり僕のことを素人だと思っていたらしい(笑)。現場初日が終わって驚いていたみたいだけどね。

一一「YYK論争 “永遠の誤解”」については?

沖島:スガさんの書いてくれた文章にある「メタ言語」ということに関して言えば、映画の行き着く先が必ず自己言及になってしまいますよね。一方で僕は観ていないけどトリュフォーの『アメリカの夜』のような撮影現場の内幕ものもやりたくなかった。「自己言及」にも「内幕もの」にも陥りたくないっていう防衛本能があって。とにかく最後は自分にとってハッピーな形で映画を作り上げたいんですんね。「自己言及」や「内幕もの」にありがちな奸策に陥らずにどうやってあの映画を作っていくか。閉じられた映画から如何に外に出ていくかが勝負所じゃないですかね、あの映画は。メタ映画も映画の内幕を描くものも、作るのはどっちもやりやすいです。でも何の得になるの?そんなもののために映画を作って。そうじゃなくて、映画を作ることでもっと違った場所に出て行く、それがとても重要なんですね。

一一真魚さんの文章に出てくる「最後、高みよりどこからともなく聞こえる声」という箇所、スガさんの文章で「『上空』へのユーモラスな憧憬」というところからも分かるように沖島さんの映画ではたびたび空や上方から聞こえてくる音が重要になっていますよね。『新・ムーミン』の「雲と遊ぼう」の回もそうですし、『したくて、したくて、たまらない、女。』では女の「いやいや」とか「したいよー」という声も空に響きます。加えて『一万年、後….。』もラスト音波は上方から聞こえてきます。一方で『ニュー・ジャック&ヴェティ』から描かれる舞台は(『出張』や『したくて、したくて、たまらない、女。』でさえ)非常に限定された空間が多いですよね。

沖島:少ないとはいえ5作も撮ってくると明らかにばれてくるようなところがあって(笑)。『YYK論争』で義経と清盛がスタジオの陰でぱっと見上げた換気扇の向こうに見える青空をとらえたカットがあるでしょ。こんなことをする人いないと思うの。必要のないカットなんだけど、僕の場合ははじめからこれをやりたいというのがあって、換気扇の枠を小道具さんに作ってもらったんです。また『ニュー・ジャック&ヴェティ』の乱交が始まったとき青年がかなり長いモノローグを話すんですよ。そこで過去を振り返りながら「空がなんであんなに天まで抜けていたんだろう」という台詞があるんだよね。そのあと「だんだんとそれから僕には天井ができて息苦しくなりはじめたんだ」という台詞が続くんだけど、そのとき僕が何を言いたかったかというと、頭でっかちな「観念」の天井―僕にとって一種の東京文化でもあるんだけど―ができてくるということを言いたかったんだよね。物理的に実際の天井がある部屋に閉じ込められる不快さもあるけどね、物の考えのなかでの抽象的な天井という両面があると思うんです。いずれにせよ、そこを突き抜けていきたいっていうか。それを突破していくにはバカバカしさとかナンセンスみたいなものがないと突破できないんですよ。僕をそれまで評価してくれていた田村孟さんですら『出張』を撮ったときには「お前、あれで本当にいいと思っているのか」と言ったんです。つまり、あんなバカバカしいものでいいのか、と。やはり文学的なテーマが一つ作品にないと駄目な世代であり、時代だったのかもしれないけど、とにかく世の中にはそういう人達が多かった。それもまた頭の上に天井を作っているようなものではないかと思うんですけどね。そういったいつも自分が閉じ込められている感覚・・・中途半端に街中にキャメラを持ち出すとその問題が曖昧になってしまう。一つの表現として「空」というものを考えるんだとしたら、逆に「密室」で演じるからこそ、それができるというのがあります。きっと、そんなことじゃないですかね。■