『沖島勲は悪夢しか見せてはくれない。』堀禎一(映画監督)

沖島勲は悪夢にとりつかれている。なぜならそれが現実だからだ。そしてそこから逃げ出そうとする。あの悪魔的なズームバックや異常なカット割りを通じて。しかし到底逃げ出す事など出来はしない。なぜなら彼はリアリストだから。ロマンティシズムやセンチメンタリズムとはもはや無縁な場所に立ってしまっている。そしてより恐ろしいことに自分の映画などとるにたらないものだと知ってしまっている。沖島勲は絶対的な孤独を受け入れてしまっている。キャスト、スタッフ、自然さえもが彼を自分たちのところに引き戻そうとする。凄く危険な場所に彼が立ってしまっているから心配なのだ。しかし沖島は皆につまらない冗談をとばしながらも戻れない事を知ってしまっている。もはやこの悪夢を生き抜いていく事しか道がない事を知ってしまっている。彼に残された最後の人間的側面は優しさである。しかもそれは映画に対する全身から捧げる哀れみである。彼は『映画を追い越さない様に、追い越さない様に』と細心の注意を払いながら、卑屈なくらい頭を下げながら、身をよじり、自らの映画を、可能な限り、正確に、積み上げていく。その姿は仰ぎ見るほど気高い。心ある人は彼の優しさが理解出来るはずだ。沖島勲は映画である。

(2007年『沖島勲が語る/沖島勲を語る』より転載)